「松本押絵雛」は天保年間(1830-1840)当時の松本藩主・戸田氏が藩の殖産興業のひとつとして奨励、藩士の家庭で婦人によって作られ始めたものだという。それが松本の人形店や行商人によって売り出され、信州各地に広まっていき、ついには町内のどこの家でも子供が生まれると贈ったり、嫁入り道具のひとつとして持って行く風習ができあがったとのことしかし、その風習も明治・大正までで、大正の大火により製作者が四散したことから、急速に廃れていった。
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江戸時代後期から明治時代にかけて信州松本で盛んに作られたものです
松本はかっては城下町であり そこに住む士族の女性の手内職として発展しました
かってこの地方では雛と言えば押し絵雛をさすように 節句には欠かせないものでした
高価な座り姿の衣装雛に比べ手に入れやすい押し絵雛は 行商人によって 各地へと売りさばかれたようです
このような押し絵雛は松本に限らず 秋田や酒田など 城下町を中心に全国各地で作られていました 松本のものは流れるような優美な曲線と優れた動きに特徴があり その美しさから広く人々に愛されていました
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